宵闇堂経営記録-不定期営業-

日々起こった出来事から、気になる音楽、ゲーム、漫画に小説まで幅広く。 具体的には東方シリーズ、同人音楽(SoundHorizon、片霧烈火、霜月はるか、茶太、eufonius、etc...)等など

Category :  スポンサー広告
tag : 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category :  日記
tag : 
家に帰るとリラックマ殿がソファーに鎮座しておられました。



200902240815000.jpg





もう、足なんか組んじゃって……。



そんなわけで岩手に帰宅です。常々京都で友人に「東北出身だから寒さに強いっしょ」と尋ねられ、「京都も寒いけど、寒さの質が違う」といい続けてたのですが、そんな言葉を身体で再認識した形となりました。なんというか、吐く息が吐く前から白くさせられてる感じ。数字でいうと-8℃。心地の良い寒さでした。


さて、昨日一昨日は東京にてチャットの友人らとプチオフ会的な感じで遊んでました。折角なので思い出せるとこをつらつらと書いてみましょう。


22日(日)参加者:Kan、さー、亜樹、ツェーン、クルトー(順不同、敬称略)

10時新宿駅集合。なのにバスの関係で7時には駅にいる私。ちなみにバスの中ではいたずら黒うさぎを聞いてました。何というか16回は神回でしたね。暗がりの中ニヤニヤする自分きめぇ、と思いました。まぁしょうがないよね……。
朝はミスドで待つ予定でしたが、バスに普通に酔って具合悪かったので、駅の柱に寄りかかって本を読むという選択肢をとりました。結局2時間以上読んでたのか……軽く異様だったんじゃないかなとは思いますが、まぁ旅の恥はかき捨てということで。
9時頃に、早めにきてくれたツェーンさんと合流。初対面でしたが、かなりかっこいい感じのお洒落さんでした。まぁチャット自体はいくらでもしてるし、スカイプなんかもやってたのでそのまま大学の話とかしつつ残りのメンバーを待つ。
色々ありましたがまだおよそ時間通りに全員集合。さーさん、亜樹さんは前に会ったことがあったので別に問題は無かったのですが、クルトー(以下クル)とは前によく分からないやり取りがあったのでちょっと緊張。主にあっちが。私はそんなクルをみて笑ってましたが。

とりあえずお買い物が目的ということでLUMINEを上から下まで見つつ降りていく。普段洋服なんて安いとこでしか買わない私は、その値札の数字を見てすっかり戦意を喪失してしまったのでした。(何であんな服が5桁……?)ま、そもそもメンズが少なかったし、買う気もなかったので関係なかったのですけど。

午後からはとりあえずってことでカラオケ。久々だったので無駄にはっちゃけてましたねごめんなさい。でもあのえーりんはすっごい楽しかったです。やっぱり合いの手が入ると気分も乗っちゃうよねー。あとは朝と夜やシャイタンをデュエットしてみたり、かと思えば合唱曲を入れてみたり。怪獣のバラードとかすごい楽しかったですけど、アルトとバスだけでは曲のよさって出ないなと思いました。そりゃ主旋律が欠けてたらね。

4時間ほど歌って、また買い物して、サイゼリヤでご飯。初サイゼって言ったら驚かれました。だって実家近くにサイゼないし、京都だったら学食で食べちゃうしねぇ……。新宿の局地的物価高騰に凹んでた私にとっては非常に優しい(財布にも心にも)お店でした。

次の日TDRに行くために早起きなので、この日は8時頃に解散。元々私はツェーンさんとこに泊まる予定だったのですが、私の気まぐれでクルも呼んで、男3人でお泊り会を開催することに。女3人集まると姦しくなるものですが、男3人集まるとバカ話に花が咲きますね。あんなに爆笑したのいつ振りだろう……。「さすがにもう寝ようぜ!」って言って電気を消してからのテンションの上がり具合といったら。3人ほぼ初対面とは思えないくらい打ち解けて、とても楽しい時間を過ごせました。これにて、1日目は終了。



23日(月)参加者:Kan、さー、亜樹、ツェーン、Yue(同上)

朝4時45分起きという苦行。私なんかは10分で準備終わったんですけど、やっぱりお洒落さんはなにかと時間がかかるようです。とはいえ、男3人という組み合わせにしては完璧に時間通り(寧ろちょっと余裕あり)に行動できたことに軽く感動しました。6時発の電車にのり、一同目的地のTDRへ。途中新宿を経由したのですが、初めて通勤ラッシュなるものを体験しました。何と言うかもうね、あの場には2度と参加したくないと、それだけを思ったね。まさか本当に身動きできなくなるなんて……ありゃ女性車両必要ですよ。意志の弱い男が、あの密着度で横に綺麗な女性が居たときに手を出すなってのが酷だなと思いました。もちろん痴漢は犯罪だし絶対やっちゃいけませんが、あんな異質な空間に居たら理性が麻痺する人も出てくるってのも頷ける。あ、ちなみに私は理性云々以前に、四方八方スーツ姿の殿方に囲まれていたので無問題でしたよ。

東京まで着けばそれなりに楽になりまして、スムーズに舞浜駅まで辿りつく事ができました。クルとはここでお別れして、残りのメンバーと合流。何か知らない女性が一人居る!と思ったらYueさんでした。過去何回か会ったことはあったのですが、喋ったことがそんなになかったので認識できてなかったみたいです。ちゃんと触れ合ったのは今回が初だったのですが、何というか、非常に可愛らしい人でした。学部で例えるとAさんが近いかな。色々と服装が好きな感じだったのですが、詳しく書くと気持ち悪がられるだろうので割愛。嗜好が気持ち悪いのではなく、嗜好を詳細に述べる行為自体が気持ち悪い、という自己弁護だけはしときます。

まぁその5人でいざTDRへ。天気は生憎の雨でしたが、平日という条件も相まって人が少なかったので良かったね、ということ。私のとっては十分多かったですけどね。ただ、そのせいで絶叫マシンにまったく乗れなかったのが残念でした。絶叫嫌いな私ですが、その記憶も小学生のもの。今なら楽しめるか試してみようと思ったのですが、残念ながらその機会は次へと持ち越しのようです。

アトラクション的には何といえばいいのか……「ランドは子供だましっぽい」という話は聞いていたのですが、まぁ確かに、アトラクション自体を純粋に楽しめたのは少なかったかな。私の楽しみ方については後で書く予定。ま、結果的には非常に楽しかったです。とくにプーさんのは建物の内部自体が絵本の世界になっていてとても面白かったです。なるほど、こういうところが夢の国なんだなぁと。あとパーレーツオブカリビアンも、本当に御伽噺の国の世界に入り込んだようで楽しかったですねぇ。船長さんすっげーかっこよかったですし。あのリアルさで白雪姫の魔女を作ったら楽しかったんじゃないかと思いましたが、子供は軽くトラウマになるだろうなと思い直しました。

昼ご飯はハートの女王のお膝元で食べました。ハートのハンバーグをいい感じに真っ二つに切り、「今TDR内のカップルが一組別れた……」と呪いの言葉を吐く集団。勿論ケーキでも同様のことをし、合計6組のカップルが破局したはずです。いい仕事をしたものだ……。

あ、そういえばTDRでは色んなものを手に入れましたね。今丁度25周年ということで盛り上がっていたのですが、ドリームキーという限定品があったのでいそいそと作ってきました。以下その写真。





鍵




分かる人には分かっていただけると思うのですが、これで黒い悪魔を倒せそうだなぁと思ってました。作りもなかなかしっかりしているし、その割にはお値段も手ごろで、いい記念になったんじゃないかなーと思います。部屋にでも飾っておこうかな。どうせ次は50周年くらいまで行かないだろうしねぇ、なんて。
あとは、何か射撃コーナーがあったのでやってみることに。ライフル部の実力を見せてやるぜ!とか意気込んでたのですが、意外とあっさり前弾命中させて保安官バッジを貰っちゃいました。




保安官






まぁ面目躍如ってところかしら。……10発全部1番近いとこを狙って撃ってたのは秘密。同じ的には命中してもカウントされない仕様にしたらいいのにと思いましたが、まぁバッジが貰えたので何よりでした。ゲーム自体としても面白かったので、次行ったときもあったらやってみたいものです。

そんなこんなでうろうろしているうちに、気づけば空は暗くなり、各々帰るじかんと相成りました。晩御飯を食べさーあとは解散するのみ、というところで、私の本領発揮。どれだけ探しても、ロッカーの鍵が見つからない。これ私の常なのですが、何かやろうと思うと大抵のことはできるのに、重要なとこで修復不可能とはいかないまでも、かなり大きなポカを1つはやっちゃうんですよね……。
鞄、ポケット、財布、あらゆるところを探しましたが、無いものは無い。そもそも鍵をしまった心当たりがまったくない。この辺である悪い予感がよぎったのですが、とりあえず駅員さんに報告の上、業者の方に来てもらうことに。あー弁償かどうしよう安いといいなぁなんて思いながら業者の方を待っていたのですが、何だかやけにニコニコとしている。この辺でさっきの悪い予感が確信に変わったわけですが、つまりは鍵を閉め忘れていたんですね、私。道理で鍵をしまった記憶が無いわけだよ……。
どうやら駅員さんが気づいて保管して下さっていたみたいです。道理で駅員さんが業者さんとの電話で笑っていたわけだ。「本人確認をしたっていう形式的なものだから」と名前や住所を書いて、鍵を受け取り無事に荷物を手に入れたわけですが、本当に焦りました。そもそも、どうしてロッカー番号は覚えてるのに鍵を閉め忘れるんだこの頭は……。「お土産がある」と言った手前「先帰ってていいよ」とも言えず皆を待たせてしまったのが本当に申し訳なかったのですが、皆呆れつつも笑って許してくれました。ほんといい人たちです。とりあえず電車の時間にも間にあったし、これにて東京オフ会が終了したのでした。

ま、私はこのあと10時までずーっとドトールで本を読んでいたのですが。結局2時間半くらいかな……この場を借りてドトールさんにはお詫びとお礼を言いたいと思います。コーヒー1杯で長時間居座ってしまい申し訳ありませんでした。でもそのおかげで無事時間通りにバスに乗り帰宅することができました。本当にありがとうございます、とまぁこんなもんで。


書くべきことは大体もんなものですかね。とにかく、疲れたけど楽しい二日間でした。また皆で集まりたいものですね。
さて、書きたいことはまた続きからで書いてますので、機会を改めて読むといいと思います。ぶっちゃけここまで読むだけでも結構疲れてると思うし、内容が内容だしね……。何より長いし。TDRに行って書く内容ではないと自分でも思うのですが、書かないわけにもいかないので。あ、TDRが普通に好きな人にはオススメしませんので、そこのとこよろしくです。


それでは、ひとまずはここで終了ということで。


はい、というわけで思考編の始まりです。もう一度言いますが、TDR好きな人は読まないことをオススメしますよ?










私のアトラクション自体が楽しめない場合の楽しみ方、それは観察です。演出家の意図を汲み取ろうとしたり、細部のつくり、その精巧さや視覚効果なんかを見るのが楽しいのですが、それ以上に今回感じたのは機械の動きについてです。TDRの機械は実に滑らかに動く。それこそまるで生きているかのように……。あぁ、夢の国の正体は人工的な智の結晶、すなわち機械の国なのか、と妙に納得しました。科学と魔法は紙一重。人が人に見せる夢の国はそうならざるを得ないのです。
しかししかし、今回1番楽しかったのは、実はTDRの未来を想像することでした。10年後?100年後?それは分かりませんが、廃墟と化したTDRを夢想すると凄いぞくぞくします。多分フラジールの影響かとは思いますが、今の私には廃墟をイメージする力がある。それを用いて描いたTDRの未来の姿は、なんとも心惹かれるものでした。


塗料が剥げ、動くことを止めたメリーゴーランド。朽ち果て、中身の機械が露出し、それでも顔半分には笑みを浮かべたまま太鼓を叩く少年。歌を歌う口を持たない少女。スプレーで落書きされたプーさんの絵本。うち捨てられた列整理のポール。


満月の夜、何かの偶然で配線が繋がり、錆びた機械に動力が送られる。ぎこちなく走り出す機械の馬。3段階に動く腕をただ上下させる少年。途切れ途切れに歌う少女。まさしく「夢の世界」です。そんな世界があったなら、私は感動して滂沱の涙を流すでしょう。あぁ、素晴らしきかなディズニーランド。
何だかもう、好きとか嫌いとかいうよりも愛おしさが先に来ますね。形あるものは全て滅びる。現在波のように人が訪れる世界が静寂に包まれる日がきっとくる。なんて未来は美しく希望に満ち溢れているのか……。


TDRに行ってまでこんなことを考えるなんて退廃感にとらわれてるなぁと思うのですが、それもこれも、全てTDRが本当に素晴らしいところだからでしょう。USJに行ったときはこんなこと考えなかったのですが、それはきっと、USJの素晴らしさには限界があるから。別にどこが悪いとも思いませんし、個人的にはUSJのほうが楽しめたのですが、多分、衰退するとしたら、TDRよりはUSJのほうが先でしょう。100年経っても、TDRは現在のように輝かしい場所かもしれない。だからこそ、その荒廃、零落がとても美しい、価値あるものに思われるのです。


ついでに。今回読んでいたのは木原武一さんの『哲学からのメッセージ』という本だったのですが、これ、凄いおすすめです。哲学の本を読みたいけれど原著はしんどい。でも解説書も何を読んだらいいのか分からないという私みたいな人にはうってつけ。解説書と呼ぶにはボリューム不足ですが、カント、デカルト、ニーチェ、キルケゴール、パスカル、ヘーゲル、ソクラテスの各人物において、「筆者が何を得たか」という観点を中心に、解説を試みています。確かに解説書は数あれど、その著者のメッセージを解説書の筆者がどう受けて、どう解釈したのかを書いている本はあんまり無いでしょう。結果的に「哲学はよく分からない」となってしまう。しかし、デカルト曰く「真理は明晰かつ判明」であって、哲学が分からないのは哲学用語や言い回しの影響が少なくない。その点この本は、かなり分かりやすく読めることを意識して作られているな、という感じがしました。何故なら、原著を紹介しようとするのではなく、そこから自分が得たメッセージを伝えようとしている、つまり自分の思いを自分で伝えようとしているからです。勿論、筆者の力量が窺い知れるところでもあるわけですが。


さて、本の紹介はこのくらいにするとして、私がまず思ったのは「私はニーチェを読まねばならない」ということでした。何故ならば、ニーチェの理想とする生き方と、私が理想としている生き方とがほぼリンクしているからです。筆者はこのニーチェの思想を「男らしい生き方」と呼んでいますが、ニーチェを授業などで習った人はとてもそうは思えないでしょう。ニーチェといえばニヒリズム。それはあらゆるものを無価値とみなすこと。私もそう思っていました。しかしこの筆者曰く、それは誤りなのです。ニヒリズムとは、無意味なこと、虚妄なるものを信じること。故に「キリスト教はもっとも深い意味においてニヒリズム的である」とニーチェは言う。ニーチェの哲学は、実はニヒリズム批判の哲学なのだと、筆者は主張します。そして、私もそれが正しいと思うのです。


男らしい生き方。それはニーチェの言葉を借りれば「純粋であること」です。一体どれだけの人間が、自分自身に対して純粋でいれることか。自分を誤魔化したり偽ったりすることなく、日々を生きていけることか。そしてニーチェは、「同情」を、もっと強く言えば「隣人愛」を否定する。以下、ニーチェの言葉を引用する。


「君たちは隣人のまわりに群がり、それをさも美しい言葉で飾り立てる。しかし、私は君たちに言おう――君たちが隣人を愛せないのは、君たちが自分自身をうまく愛せないからだ。
君たちは自分自身から逃げ出して隣人のところへ行き、それで何か美徳をほどこしたと思いたいのだ」


読んだ瞬間「その通り!」と強く共感できる言葉はそれほど多くはないけれど、この言葉はまさしく私の心情と合致しました。これほど明晰に、綺麗な言葉で真理を言うことができるなんて。一言で言えば「羨ましい」です。
では、人間は一体どのように生きるべきか。ニーチェは「エゴイズム(利己主義)」を提唱します。利己的であるとは我侭に生きるということであって、良いイメージを持たれにくいものですが、それは筋が通っていないただの「自分勝手な姿」だからです。真のエゴイズムとは自分に忠実であること。自分が真にしたいことを見定め、自分を信じて行動することであると、ニーチェは言います。それに比べれば、隣人を愛することは寧ろ容易でありましょう。
では、一体どうすれば自分に忠実でいられるのか。それは偏に、自分自身を愛すること、これしかありません。理想主義に陥ることなく、過去、現在、そして未来の全ての自分を許容する、自らの生きる運命を愛すること。これこそがニーチェの語るエゴイズムなのです。


ここまで分かって、私は次に行うべき自分の課題を知りました。それは「自分自身を思いのままに動かすこと」。運命愛を感じ、自分を愛することができたと思っていた私は、これで満足だと思っていた。あとは自然的な力に任せれば、全ては上手くいくだろうと。しかしそれは最早生を諦めたことに等しい。即ち私には、積極的に自分を信じるという強さ、自分自身を支配する強さが欠けていた。ニーチェは言う。


「われわれはしっかりと自己の上に腰をすえ、毅然として自分自身の両脚で立たなければ、愛するということはできないものだ。結局のところ、このことをいちばんよく知っているのは女たちである。彼女らは、自我のない、単に公平であるにすぎない男などは相手にしない。」


この言葉を読んで、中学生の頃女友達に「Kan君は誰にでも優しいのが難点」と言われたのを思い出しました。確かに私は公平であろうとしていましたが、それは優しさではなくただの自我の喪失、選択することの放棄であったと、今なら言えます。そして、今ならそんな弱い自分ではなく、自分で自分を動かすことに強い人間になれるのではないかと思うのです。
ここ1年を通じて自己改革をしようと考えつつもその方向性が分からなかったのですが、ここにきてやっとそれが定まりました。実はこれ、日記書いてる今理解したことなのです。一読しただけではそこまで自分にひきつけて考えることは出来なかった。やはり哲学的な本とは、2度3度読むべきものなのですね。とりあえずこの本買ってこよう。


最後に。この筆者である木原武一さんは、哲学書を読む意味をこう語る。


「哲学が相手にするのは、知識ではなく知恵である。」
「われわれは知識は学ぶことが出来るが、知恵は学ぶことができない。知恵は体験して身につけるしかない。」
「哲学はけっして学ぶことができない。われわれがカントを読んで学ぶことができるのは哲学すること(傍点あり)のみである。」
「カントがみずから問題を見つけ出し、これを解決するにあたっての思考の悪戦苦闘をともに体験し、われわれの頭脳を思考の疾風怒濤のなかにさらすことにこそ、カントを読む意味がある。」


数学や物理学などは、本を読んで理解すればそれでよい。しかし、哲学や心理学を学び、或いは本を読んで「自分を好きになれば幸せになれる」という言葉を知識として理解したところで、まったく意味は無い。重要なのは如何に自分にひきつけて理解できるかということであり、自分の経験として、即ち知恵として身に付けることができるかということなのである。これこそが文系の学問が人それぞれの答えを持つ理由であり、またそうあるべきという理由なのだろう。


私は大学生になってから、教育学や心理学は数学や物理学に対しある種劣っているのではないかと考えていた。しかし、それは双方を同じ天秤、つまり知識の面から量ろうとしていたが故の誤りであった。前者は知識を積み重ねていくものではないから、新しく学ぼうと思っても比較的簡単に入り込み、知識を得ることができる。しかし後者はある知識を前提として次の問題に取り組んでいくために、急に入り込んでそれを学ぼうと思っても難しい。しかしこれは学問の質の問題ではなく、型の違い、もっと言えば枠組みの違いであると、今なら言うことができる。


勿論、理系の学問とて知識だけで完結させられるものではない。事実、パスカルは哲学者としてよりも寧ろ数学者として有名だと言えるかもしれない。今話をしているのは学問の世界のことであるが、人生を語るにおいては文理の区別など関係なく、知識よりも知恵が必要だ、ということである。


さて、今回私は最後にまとめるべき言葉をもたない。というのは私はようやく新たなスタート地点に立つことができたのであって、今は0の地点にいるからである。何も為していないのに何かを語ろうとするのは愚かであろう。
とりあえず、ついでにとして書いたこちらの話が思いの外長くなったのは誤算だった。が、その中で私が進むべき道を見出せたことは嬉しい誤算だった。これで私は、また一歩先に進むことができる。100年以上昔の人物が人として進むべき道を教えてくれるというのは必然のようなことであり、また不思議なことである。なんにせよ、実家にいる間にもってきた本を全て読む、これだけは実行しようと思った。きっと2000年以上前の人物からも、多くのことを学べるに違いない。


スポンサーサイト

コメント


新生KAN誕生おめでとう!!
私も参考にさせてもらいます。本読もう。。
2009/02/25 18:36URL  TOM #-[ 編集]


ニーチェですか。
私はカントですかね。

木原さん読んだことあるね~。
もっかい読んでみよう。
2009/02/25 20:46URL  燈紗 #-[ 編集]


TOMさん>まぁ特に何が変わったというわけでもないのですけどw
新学期始まってからが勝負かなぁなんて思ったりしてます。


燈紗>カントは未だによく分からない……ってまぁ、分かろうとするほど読んでもいないのだけど。
他の本でも何かオススメあったら教えてくださいな。
2009/02/26 13:48URL  Kan #-[ 編集]


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://cherrybreeze728.blog22.fc2.com/tb.php/604-f00770c2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
プロフィール

Kan

Author:Kan
ひまわり-Pebble in the Sky- Portable

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索

RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。